宇宙での背中の痛みと脊椎のはなし
こんにちは、外科医の後藤です。
人間の身体を中心で支えているのが、全部で30近くの椎体と呼ばれる骨から構成される脊椎、いわゆる背骨です。
宇宙では微小重力により、この脊椎や脊椎を支える筋肉に変化が生じます。
結果として、宇宙到着後に背中の痛みが出たり、地上帰還後にも飛行士の悩みの種となるようです。
今日はその仕組みや研究内容について説明します。
微小重力による脊椎への影響について
宇宙では微小重力による脊椎の解剖学的な変化で、しばしば背中の痛みが出現します。
背骨を支える安定筋と呼ばれる筋肉が衰えたり、姿勢が変わったりと地上と異なる変化が生じるため、宇宙について間もなく背中や腰に痛みが出るのです。
52-68%の宇宙飛行士が何らかの背中の痛みを宇宙飛行中に自覚し、痛みの場所は腰部が半数を占めるとの報告があります。
痛みの性質は重だるい痛みが大半で、強さは宇宙到着後1-2日後に最も強く、1週間ほどで次第に軽快する場合が多いとされています。
これらは帰還後にも影響を及ぼし、長期宇宙滞在後に椎間板ヘルニアを発症する確率は一般人と比べて腰部で3倍、頚部ではなんと21倍以上高くなります。
椎間板とは弾力性のある、1つ1つの背骨どうしをつなぐクッション材のような組織ですが、椎間板ヘルニアは下図のように椎間板内にある髄核というゲル状の組織が飛び出し、脊髄(神経)を圧迫する病態です。
このヘルニアがたとえば腰椎で起こった場合には腰痛、脚の痛みやしびれ・感覚低下、筋力低下を来す事もあります。
左図:椎間板(オレンジ部分)の内部にある髄核(黄緑部分)が外部に突出することによって、脊髄が圧迫され足腰の痛みやしびれなどが生じる
右図:椎間板ヘルニアを水平断で見たところ、髄核(ピンク部分)が脱出し、脊髄=Spinal cordから出る神経根=nerve rootを圧迫(赤色部分)している
近年の研究では、宇宙滞在中には体幹の筋肉、とくに多裂筋と呼ばれる脊椎に付着する筋肉の萎縮が起こり、それによって脊椎の弯曲が減少し不安定化することで、背中の痛みにつながるのではと考えられています。
ISS (International Space Station: 国際宇宙ステーション)で宇宙飛行士は週6日、1回約2時間の中~高負荷の抵抗運動や有酸素運動を行っていますが、微小重力で機能低下した脊椎に高い負荷がかかることは、脊髄損傷のリスクにつながる可能性も指摘されています。
宇宙飛行中および帰還後の脊髄損傷についてはまだほとんど研究がなく、宇宙滞在中から定期的な画像評価と脊椎外傷の有無を、少なくとも帰還後2年間は追跡していくことが望ましいとする報告があります。
ESA (European Space Agency: 欧州宇宙機関)では近年、地上帰還後のリハビリテーションにおいて、これら脊椎を支える筋肉を含む、重力再適応トレーニング機器を研究中であると報告されています。
宇宙では椎間板が広がり、身長がのびる
宇宙に行くと、最初の数時間で身長が伸びることが分かっています。
脊椎間のクッション材である椎間板は、人が地上で立っている場合には常に下向きに重力を受けているため、一定の厚みを保っています。
宇宙では、この椎間板への重力負荷がなくなるため、椎間板の厚みが増大し結果として脊椎全体が伸びる、すなわち身長が伸びることになります。
椎間板1個あたり約1mm伸びるので、身長は大体1-2cm伸びるのが普通ですが宇宙飛行士の中には最大で7㎝伸びたという報告もあります。
しかしこの状態に慣れるまでは大変で、背中の痛みが生じ特に安静時や睡眠時に悪化するため、胎児のように体を丸めて寝る飛行士もいるそうです。
地球に帰還すると、重力の影響で身長はまたもとに戻ります。
実は、地上においても身長は常に一定ではなく、昼 (立位)と夜 (臥位)のサイクルに合わせて日内変動することが分かっています。
5-90歳まで1217例の1日での身長変化を調べた研究では、夜間から朝にかけて男女とも平均10-20mmの身長増加が確認され、原因として椎間板高の増加と脊椎の弯曲の減少がその要因とされています。
これは古い報告ですが、この結果は宇宙で重力の消失により身長が増加する原因と同じであったことが分かります。
宇宙での脊椎の変化について、NASAのリーランド・メルビン宇宙飛行士による50秒ほどの分かりやすい動画があるので、参考にしてください。
宇宙での腰椎変化の研究
宇宙での腰椎(背骨の腰の高さに当たる部分)の構造変化を調べた研究として、6か月宇宙滞在した飛行士6人の腰椎を調べた報告があります。
脊椎全体は、下図のように身体の場所によって前後に緩やかに弯曲した構造をしています。
頚椎(背骨の頚の部分)は前方に向かってカーブを描き(前弯)、胸椎(胸の部分)は後方に向かってカーブを描き(後弯)、腰椎は前方に向かってカーブを描いて(前弯)います。
結果は、腰椎の前弯が11%減少しており、つまり脊椎は平たんに近くなっていました。FE ROM(flexion-extension range of motion:脊椎の屈曲-伸展の可動域)も、有意に減少を認めました。
結論として、宇宙飛行中の背中の痛みの主因は、脊椎弯曲の減少による脊椎の不安定化であり、多裂筋をはじめとする脊椎を支える筋肉の萎縮による影響が考えられるため、今後はこれらの筋肉を重点的にトレーニングすることで改善が得られるかもしれないとのことです。
帰還後、慢性的な背中の痛みに悩まされている飛行士は、6人のうち宇宙飛行前から椎体の一部に障害があった2人であり、事前に脊椎に何らかの解剖的問題があることは、帰還後の背部痛を引き起こす可能性を高めるかもしれません。
また、微小重力が脊椎に与える影響を調べるため、地上で行われた3日間のベッドレスト(寝たきり)実験による研究では、脊椎の弯曲の減少のほか、椎間板の浮腫(水分量が増えてむくむこと)が起こっていることが観察されました。
宇宙生活では微小重力により椎間板に負荷がかからないため、下図 (右側2枚、HYPERHYDRATION)のように椎間板が大きくむくみます。
結果として、脊椎の柔軟性が失われるとともに髄核の圧が高まり、お辞儀のように腰を曲げたときに髄核が後方へ飛び出してしまいます。
この狭い隙間から内容物が突出することを「ヘルニア」と表現し、これが椎間板ヘルニアが発症するメカニズムです。
出展:Disc herniations in astronauts: What causes them, and what does it tell us about herniation on earth? Eur Spine J, 2016
地球帰還後の椎間板ヘルニアの予防方法として、背中や腰を曲げる動作を避ける、臥床(横になる)時間を長めにする、腰や頚部をテープや器具などの補助具で固定する、などの方法が提案されています。
また、宇宙飛行初期の背中の痛みには、脊椎の適切なストレッチと胎児のような丸まった姿勢をとることで、大部分は予防できるとの報告があります。
宇宙飛行初期と地上帰還後にも、飛行士の悩みとなる背中や腰の痛み。
微小重力に対する身体の適合プロセスのひとつと考えられていますが、帰還後も症状が残る場合があるため宇宙飛行前の脊椎画像検査や、宇宙滞在中の合理的トレーニング、帰還後のリハビリテーション内容に更なる研究が求められています。
参考文献
- Crew-Friendly Countermeasures Against Musculoskeletal Injuries in Aviation and Spaceflight. Front Physiol, 2020
- Spinal Health during Unloading and Reloading Associated with Spaceflight. Front Physiol, 2018
- From the international space station to the clinic: how prolonged unloading may disrupt lumbar spine stability. Spine J, 2018
- The immediate effects of exercise using the Functional Re-adaptive Exercise Device on lumbopelvic kinematics in people with and without low back pain. Musculoskeltal Sci Pract, 2017
- Disc herniations in astronauts: What causes them, and what does it tell us about herniation on earth? Eur Spine J, 2016
- Intervertebral Disc Swelling Demonstrated by 3D and Water Content Magnetic Resonance Analyses after a 3-Day Dry Immersion Simulating Microgravity. Front Physiol, 2016
- 長期宇宙滞在における骨、脊柱の変化 バイオメカニズム学会誌,Vol.25,No.1. 2001
- 無重力状態の宇宙に行くと人間の体にはこんな変化が起こる Gigazine