宇宙開発フォーラム2024での講演―宇宙進出における精神心理面の問題について
こんにちは、Space Medical Accelerator (SMA) 代表、脳外科医の後藤です。
2024年9月8日、東京の日本科学未来館で宇宙開発フォーラム実行委員会により開催された宇宙開発フォーラム2024において、「パネルディスカッション3・宇宙進出時代の到来:身体・思想・社会の変化と向き合い方」に登壇しました。
宇宙開発は科学技術や政治的観点から議論されることが多いですが、本来人間が生きることができない宇宙空間に進出する人が増えるにつれて、精神的影響や価値観、社会への影響も少なからずあると考えられます。
本セッションでは、このような話題について議論することを目的とし、私は主に「身体・思想・社会の変化」のうち「身体」なかでも精神心理についての説明をさせて頂きました。
「もし親友に月旅行に誘われたら?」など来場者がオンラインで参加できる企画、オーバービュー効果についての議論、パネリストへの質問コーナーなど盛り上がったので、講演内容を簡単にお伝えします。
1.宇宙医学と宇宙空間の人体影響について
まずは、「宇宙医学」とは何かということからお話を始めました。
宇宙医学とは、宇宙環境が人の健康に与える影響とメカニズムを解明し、対策を立てる研究分野です。簡単に言うと「宇宙飛行士を安全に帰還させて健康を維持すること」、これが宇宙医学の目的です。もちろん、ここには宇宙での精神心理面の問題に対処する事も含まれています。
宇宙医学は大きく「宇宙飛行士の健康管理運用」つまり医学的な支援と、「宇宙医学分野の研究開発」つまり宇宙で人の健康を守るための技術開発や、微小重力を生かした創薬など地上医学の進歩に繋がる研究を行うことの2つに分けられます。
続いて宇宙空間が人体に与える影響についてです。
宇宙空間、ここでは地上400km上空を周回する国際宇宙ステーション(International Space Station: ISS)としますが、ここでは地上と異なる3つの大きな特徴があります。
①地上の1/100万の微小重力、②1日で地上半年分に相当する宇宙放射線、③45分周期で昼と夜が入れ替わる特殊な閉鎖環境です。
微小重力による骨・筋肉の委縮や不可逆的な脳や視覚への影響、宇宙放射線被ばくによるDNA損傷と発がんリスクの上昇、閉鎖環境で精神心理ストレスや免疫機能低下による感染リスクなどが明らかとなっており、克服のための研究が進められていることを説明しました。
今後、有人宇宙飛行は現在の地球低軌道から、月面さらに遠方の火星へと広がっていきます。
宇宙飛行者も、選抜されたプロの飛行士だけでなく高齢の方や身体的ハンディがある方など民間人のミッションもすでに海外では開始されています。
近い将来に宇宙旅行サービスがより一般的となれば、基礎疾患つまり持病のある方や、さらに若い女性、子供などの宇宙飛行者も想定され、現在の宇宙飛行士に対する健康管理技術が生かされることになるでしょう。
さらに地球を離れ月面に人が滞在するようになったら、現在のISSとは異なる新たな医学的問題が起こってきます。
2.月面環境の人体影響について
そこで、月面特有の環境がどのような医学的問題を引き起こすかを説明しました。
月面には、地球低軌道とはまた異なる3つの特徴があります。
①地球の1/6重力、②低軌道の2倍に達する宇宙放射線、③地球からの距離です。
まず、小さいながらも重力があるということは、移動に歩行が必要ということです。
アポロ時代の宇宙飛行士の月面歩行映像では、ホッピング歩行といい飛び跳ねるような不安定な歩行で、しばしば転倒する姿が見られます。
人の歩行や姿勢制御は関節・筋・神経系などの共同で行わており、中枢から末梢にはこの運動を制御するシナジーという運動制御パターンが存在します。
異なる重力環境での歩行では、協調して働く筋の組み合わせパターンが変化しており、宇宙飛行士の歩行動作に関する研究が進められています。
2つ目は、強い宇宙放射線です。
月面では地球のような大気がなく、またヴァンアレン帯という磁気圏によるバリアの外に出てしまうため、地上の200倍以上という強い宇宙放射線(太陽と太陽系外の銀河から飛来する高エネルギー荷電粒子。約87%が水素、約12%がヘリウム、残りの約1%が重原子核)が降り注ぎます。
また、月面活動中に太陽フレアが生じた場合、緊急で地下に退避する必要があります。
最近、月には過去の火山活動により形成した地下の溶岩洞に繋がる縦孔が見つかっており、数10mの縦孔の底では月面の10%以下の被ばく量となるため縦孔をを居住区とする事も検討されています。
そして3つめは、地球から離れることによる精神心理面の問題です(これについては次以降で詳しく説明します)。
また、月面は2週間の周期で昼夜が入れ替わるという特殊環境なので、サーカディアンリズムと言われる体内の生体リズムに変調をきたす可能性があります。
このことが不眠やうつ、長期的には発がんのリスクとなることが懸念されています。
月面での詳細な医学的課題については、こちらの記事もご覧ください。
2.宇宙での循環器系における生理学的変化
続いて、この地球からの距離による「精神心理面の問題」にフォーカスしてお話しました。
まず、地上での社会活動から隔離され、家族や友人に会えないことや限られた人間関係での孤立感が生じやすいです。
娯楽のない単調な生活となるため、退屈さも感じる一方で外部に出たら命に係わる場所にいるという強いストレスを受けながら生活することになります。
また、地上からの支援が限定され、医学的な緊急事態には現地で自律的な医療を行う必要がでてきます。これらを円滑に行うためのリーダーシップとフォローワーシップ、チームビルディングの在り方も重要です。
精神心理ストレスに対応する方法として、宇宙飛行士では「適性のあるクルーの選抜」「フライト前トレーニング」「フライト中のサポート」の3つがストレスマネジメントの基本構成です。
中でもストレスに強い人材の選抜は重要で、閉鎖環境のシュミレーションやクルー同士の相性を考慮して飛行士が選ばれています。
NASAのBehavioral health trainingでは、フライト前トレーニングとしてコンフリクトマネジメント、ストレスマネジメント、異文化交流トレニーニング、エクスペディショントレーニング、リーダーシップ、ISS行動医学トレーニングなどを受けることになっています。
また、野外でのサバイバル訓練などを通して不時着時の対処を身に着けると共に、クルー同士の理解と信頼を高める取り組みが行われます。
3.月面を想定した南極基地での医学研究
現在、地球上で月面基地に最も近しいと注目されているのが、実は南極越冬隊など極地で生活する人々の環境です。
現在、南極には20か国以上の越冬基地があり夏場は約5000人、冬季は1000人が滞在することからちょうど2040年代に想定されている月面基地に相当する規模感と言えるかもしれません。
社会活動からの隔絶や単調な生活、昼夜サイクルの変化などの宇宙飛行士の受けるストレスを想定して、南極基地で働く人々に対する心理変化の研究が多く報告されています。
近年の研究では、ヒューストン大学にて自己申告メンタルヘルスチェックリスト(MHCL:Mental Health Checklist)を用いて南極基地2か所で9カ月間、精神状態の変化について調査が行われました。
その結果、ポジティブな感情が最も顕著な変化を示し、調査開始から終了まで継続的に低下しました。
ネガティブな感情も調査全体で増加したものの、その変化は身体の不調によって予測が可能であり対人関係や状況などによる影響を受けていました。
よってポジティブな感情を高めることを目的とした介入や対策は、極限環境における心理的リスクを低減するために重要であると指摘されています。
また、Third quarter phenomenonといって、多くの極地ミッションでは開始から半分を少し過ぎたくらいの時期に気分低下・苛立ち・モラル低下が出現し、チームでの不和や衝突が起こりやすいという報告があります。
宇宙飛行士のミッションでも同様の結果が生じるという根拠はまだ得られていませんが、月面など長期ミッションでも起こる可能性のある心理的変化として認識しておく必要がありそうです。
これら極限環境で生じる精神心理面の問題に対して、いくつかの心理サポート手段が提唱されています。
孤独感をいやすコミュニケーションロボット、観賞魚や観葉植物など地球自然を感じられるもの、そして月面ならではのスポーツやVR娯楽などのエンターテインメントを提供することは気分の安定とモチベーション維持に有効であることが、宇宙フライト中のサポートから得られています。
また、極限生活においてメンタルを維持できるのは「自己充足型」の人と言われています。
つまり、自分の関心ごとにひたすら打ち込むことができる研究者タイプの方などが想起されますが、今後月面に仕事として出張し長期滞在する方が出てきたら、必ずしもそのような方々ばかりではないかもしれません。
ストレスに強い人材だけのチームではなく、より多くの方が宇宙というフィールドへ進出し滞在するためには、チームの緊張状態を和らげたり互いの変化を早期に察することができる人物が存在することが重要と指摘されています。
今回は宇宙での精神心理ストレスについて、地球低軌道から月面へと地球から離れていくにつれて、新たな医学的課題が生じてくることを説明しました。
有人宇宙開発では、人が身体的にも精神的にも健康を保てるように様々な課題を想定し、対策を講じていく必要があります。
月面滞在ではテクノロジーの力はもちろん必要ですが、自分にはどのような状況でストレスを感じる特徴があるのか自己分析や、極限環境でのコミュニティにおけるチーム作りなど良質な人間関係の構築も非常に重要と考えられます。
孤立や孤独によるストレスが社会問題化している地上社会において、参考となる考え方ではないでしょうか。
参考資料
- Candice Alfano. Acta Astronautica, 2021
- Smith N, et al. Astronautics, 2017
- Shotaro Doki. Journal of clinical and Experimental Medicine, 2021
- 宇宙医学 | JAXA 有人宇宙技術部門
- Surgery in space: the future of robotic telesurgery.
- Space Physiology and Medicine 3rd Edition, 1993
- 第2回宇宙基地医学研究会 2021年
- 宇宙航空医学入門 鳳文書林出版販売
- 有人宇宙学 宇宙移住のための3つのコアコンセプト 京都大学学術出版会