宇宙での睡眠のはなし

こんにちは、外科医の後藤です。

地球上ではすべての人間に24時間周期で朝と夜がやってくるため、人間のホルモンや自律神経、睡眠リズムといった体内時計は約24時間周期で成立しています。

しかし宇宙空間、たとえば国際宇宙ステーション(ISS; International space station)は秒速8kmで地球を周回しているため90分周期で朝と夜がやってくる世界であり、さらに閉鎖環境である影響も加わってこの体内時計が乱れ、睡眠障害が発生する場合があります。

宇宙滞在中の睡眠問題は、ISSで高度な集中を要する宇宙飛行士のヒューマンエラーや重大事故のリスク要因であり、今後月や火星への宇宙探査ミッションでもさらなる影響を及ぼす可能性があるために、様々な研究や対策が検討されています。

今日はその要点を説明します。

ヒトの自然な睡眠システム

睡眠のメカニズムとしてよく知られているのが、レム(REM:Rapid Eye Movement)睡眠とノンレム睡眠の2種類をセットで90分おきに繰り返す「睡眠サイクル」です。

レム睡眠は文字通り、睡眠中に眼球運動が上下左右に速く動いているのが特徴で、実は睡眠中にも関わらずレム睡中の大脳は覚醒時に近い状態にあります。

奇妙な夢や、喜怒哀楽など感情を伴う夢を見ることが多いのもレム睡眠中の特徴です。

それに対して、ノンレム睡眠は比較的浅い眠りから深い眠りまでのステージ1から3に分けられており、それらは睡眠中に見られる「脳波」の違いで区別されます。

さらにノンレム睡眠では記憶の定着や強化にも重要であることがわかってきました。

人が眠るためには十分な「眠気」が必要ですが、この眠気の正体とは何なのでしょうか。

近年の研究では、筑波大学の研究チームによって2018年に発見され「スニップス(SNIPPs)」と名付けられた脳内タンパク質に見られる化学変化が、その有力な候補とされています。

マウスの断眠実験では、脳内の80種類のタンパク質がリン酸化し、覚醒が持続するにつれて増加することがわかりました。

この「スニップス」のリン酸化こそが「眠気」の正体である可能性が高く、さらにこのリン酸化は睡眠によって解消されるため、睡眠とはリン酸化の蓄積によって非効率となった脳において、リン酸化を解消してその働きを回復させるための行動なのではと考えられています。

シナプス(神経細胞が別の神経細胞に信号を伝える場所)におけるリン酸化のイメージ
出典:「眠気」の正体が見えてきた!~1万匹のマウスと向き合い、睡眠の謎に迫る~ Science Window 科学技術振興協会

また、睡眠と覚醒に関する重要なホルモンとして、脳の深部にある松果体という部分から分泌されるメラトニンの働きがあります。

朝早い時間に、十分な光を浴びると体内時計がリセットされてメラトニンの分泌が止まり、活動状態に導かれます。

しかし目覚めてから14〜16時間ぐらい経過すると体内時計からの指令が出て、再びメラトニンが分泌されます。

メラトニンは眠気を誘発するほかに、抗酸化作用によって細胞の新陳代謝を促したり、疲労を回復させ様々な病気や老化の防止に効果を持つと考えられており、注目されているホルモンのひとつです。

先ほど説明したようにメラトニンの分泌は主に光によって調節されており、夜中にパソコンやスマートフォン、LED照明に含まれるブルーライトはメラトニン分泌が抑えられてしまいます

これは、睡眠と覚醒リズムが乱れる原因となります。

出展:体内時計と睡眠の仕組み 武田工業薬品株式会社

宇宙空間での睡眠問題と”光療法”

宇宙における最初の睡眠研究は1970年代、米国のスカイラブミッションで行われた宇宙滞在中の睡眠を解析した睡眠ポリグラフ記録です。

この研究結果として、以下の事柄が報告されました。

  • 宇宙滞在中でも、一晩の睡眠サイクルはほぼ地上と同様である
  • 飛行士の睡眠時間は平均6.1時間で、地上で生活している時よりも短くなっている
  • 睡眠時間が短くなる理由として、体内時計と睡眠/覚醒リズムのずれ・船内の騒音・宇宙酔い・微小重力に伴う睡眠の必要性の低下などがあげられる

2001年から2011年までのスペースシャトルミッションの搭乗飛行士64人、ISSの長期滞在飛行士21人から得られた研究結果でも、これらの傾向は同等に認められています。宇宙滞在中における睡眠時間は平均約6時間前後で、6時間に満たない日が飛行期間の40~50%に及ぶ、という結果でした。

ISSミッションでは宇宙飛行士のうち実に75%が睡眠薬を服用しており、宇宙で最も使用頻度が高い薬となっていました。

この研究結果を見ると、宇宙では睡眠不足となりがちであるという指摘もありますが、必ずしもそうとは言えないようです。

先日配信された、宇宙×暮らし・ヘルスケアオンラインイベント内で大西卓哉JAXA宇宙飛行士は、ISSでは微小重力の影響かぐっすりと眠れて地上より短時間でも疲れがとれるとコメントしていました。

地上では横になると完全にリラックスしているように思えますが、自分の体重と同じ力でベッドから押され続けているわけですから、それが一切かからない宇宙ではより身体負担が少ない睡眠となるのかもしれません。

睡眠薬に関する方法としては、1998年に発見された睡眠・覚醒の制御に関与する脳内物質「オレキシン」がひとつの鍵を握っています。

脳の覚醒中枢である視床下部にはオレキシンの受容体があり、ここにオレキシンが結合することで覚醒シグナルが生まれ、覚醒が維持されることが分かりました。

このメカニズムを利用して誕生したのが、オレキシン結合をブロックするタイプの新たな睡眠薬である「スボレキサント」:オレキシン受容体拮抗薬です。

オレキシン受容体拮抗薬は、生理的な睡眠を誘導するため認知・記憶・運動系などに対する副作用が少なく、宇宙滞在時の使用が期待されています。

睡眠・覚醒の制御に関与する脳内物質オレキシン
出典:眠気のメカニズム――「現代神経科学最大のブラックボックス」の解明と、創薬に挑む Mugendai

また、ISSでは2016年頃からそれまで使用していた蛍光灯に代わり、NASAの開発したSSLA(Solid-State Light Assembly)というLED照明に入れ替えが始まりました。

このLED照明は明るさとともに、光の波長も自由に変更することができます。例えばISSで日中の作業をする時間帯には「青い波長の多い光」、仕事を終えて寝る前の時間帯には「青い波長の少ない光」となるように、LED照明を人工的に調整することができ、宇宙飛行士の注意力や体内時計がどうなるのか調べる研究が行われています(Lighting effect実験)。

また、‘‘月面での住まい’’を開発しているデンマークの宇宙建築家たちは、人の体内時計を維持するために1日を通して天井の色をゆっくり変えていくことで、内部で生活している人に朝と夜のリズムを作り出す方法を検討しているようです。

宇宙での居住空間に、地球と同じ昼夜リズムを与える技術は重要な要素になると考えられます。

月面の住まいでは、光の変化によって昼と夜のリズムを与える方法が検討されている
出典:グリーンランドで3カ月の実験へ…… デンマークの2人の宇宙建築家が作る”月の住まい”とは BUSINESS INSIDER

宇宙空間での睡眠モニタリング

宇宙での睡眠モニタリングとして、最も信頼性の高いのは睡眠ポリグラフ検査ですが、これは睡眠中の脳波や呼吸、眼球、筋肉の動きを感知するための電極や様々なセンサーを身体に設置することが必要なため睡眠に影響が出かねず、また結果の解析に高度の知識を要するため多くの被験者の検査ができないという問題があります。

そこで、宇宙でも測定可能で簡便かつ負担の少ない睡眠の客観的評価手法として、手首に腕時計型の活動量計を連続装着して、活動量から睡眠/覚醒を推定するアクチグラフィという方法が考案され、スペースシャトルで行われた睡眠研究では、この方法が採用されました。

また、2007年にISSのロシア棟で開発されたのはソノカードといい、カードケースくらいの大きさで胸ポケットにいれて眠るだけでセンサーが胸壁の振動を感知し、睡眠の状態をモニタリングする装置でした。

これは体に触れることなく睡眠中の自律神経の切り替えを評価し、どの程度十分な睡眠がとれているのかを評価できるものです。

ISSに滞在するロシア人宇宙飛行士全員に対して2週間に一度実験が行われ、5年間の蓄積で宇宙での睡眠において多くの情報が得られました。

カードケース型の宇宙睡眠モニタリング装置、ソノカード 出展:人類と健康

さらに地上転用として、センサーを枕やマットレスの下に設置して心臓と呼吸に関連する人体の動きを記録し、記録された信号を宇宙研究で確立された方法を用いて解析するという研究もおこなわれています。

この研究には、火星飛行を念頭においた520日間の長期実験も含まれており、人類の長期宇宙滞在における新たな睡眠評価方法を開発し、宇宙での睡眠の質を医学的にコントロールするという目的があります。

地上でもテクノロジーを用いて、睡眠の質を高めようとする企業が現れています。

脳梗塞の原因となりうる、心房細動や睡眠時無呼吸症候群を一定の精度で検出できるとされるApple watchなど、多くの睡眠モニタリング用ウェアラブルデバイスが登場しています。

睡眠研究の第一人者である筑波大学の柳沢博士率いるベンチャー企業S’UIMINは、家庭血圧計のように自宅で簡単に使用できる脳波計を開発し、自宅で測定した睡眠脳波をAI(人工知能)で解析することで、睡眠障害を抱える人々の日常的な睡眠脳波を明らかにし睡眠医療に革命を起こそうとしています。

先進諸国で悪化する睡眠問題の解決を目指すこれらの睡眠マーケットが、宇宙での応用につながるかが注目されます。

深宇宙への可能性、人工冬眠は実現するか

リス・クマ・コウモリなどの哺乳類は、寒さが厳しく食料も乏しい冬の数か月間を巣穴や洞窟で寝て過ごします。

一見、非常に楽な冬の過ごし方のように見えますが、冬眠している動物の身体は異常な状態となっており、たとえばシマリスでは体温5度、心拍数は1分間に10回未満とまるで瀕死の状態です

冬眠はこのように動物が一定期間低体温、低代謝、低活動状態でエネルギーを節約する現象ですが、冬眠はただの越冬戦略にとどまらず「長寿」の可能性を秘めていることが分かりました。

冬眠するシマリスは、同サイズの冬眠しないラットなどよりも長命であり、ラットの寿命に冬眠している分を合わせた分よりも長い年数を生きており、冬眠中には加齢が停止するばかりか若返りが起きている可能性もあるというのです。

さらに冬眠中の動物に発がん物質を塗っても変化が起こらず、病気への耐性も獲得している可能性があるという実験結果も報告されています。

冬眠中動物の体はずっと低体温のままではなく、実は数時間から数週間ごとに急激に体温がもとに戻る「中途覚醒」が起こっています

中途覚醒をする理由は、体内の老廃物の処理を行うためと考えられています。

老廃物は肝臓で分解され、腎臓を通って体外へ排出されますが低体温では老廃物の処理能力に限界が生じ、体内に蓄積して生命活動を維持できなくなってしまうからです。

しかし、クマの冬眠では中途覚醒は起こらず体温も31-35℃に維持されており、排尿も行わず尿を再吸収して腸内細菌によりアンモニアに分解し、タンパク質の材料となるアミノ酸を作り出しています

この現象はすなわちタンパク質のリサイクルを行っていることに他ならず、他の動物は冬眠中に20-40%の筋タンパク質が失われるのに対してクマでは4-11%しか失われません。

このように、寝たきり状態でありながら筋萎縮をおこさないクマの体の仕組みは、宇宙飛行士や地上の寝たきり状態の患者に応用できないかと研究が進められているそうです。

もしも宇宙船内での人工冬眠が実現したら、何光年も離れた星々への移動も世代を超えた遥かな旅とは言い切れなくなる可能性があります。

人工冬眠の研究はどこまで進んでいるのでしょうか。

例えば現代の医療においても、心肺停止後の蘇生症例において30℃台前半の低体温とし、脳代謝を抑制して機能保護を目指すという治療を行うことがあります。

この程度の低体温でも、復温の際には糖・電解質異常や低血圧などの合併症が起こらないように慎重な全身管理が必要ですが、冬眠動物のように5℃程度まで体温を下げることは全身の臓器障害を起こし得るため不可能とされています。

カギとなり得るのは冬眠動物がもつ、冬眠できる状態の体への変化を引きおこす引き金となる「冬眠特異的たんぱく質(hibernation-specific protein; HP)」です。

人はHPを持ちませんが、構造の似たたんぱく質を10種類以上持っているようです。

人でもHPの代わりとなるような物質が発見され、それらに指令を出す脳内のメカニズムが解明されることが求められます。

さらに先日、冬眠しないマウスの視床下部に特定の化学物質を注入して刺激すると、体温や酸素消費が大きく下がり冬眠中と似た状態にすることができたという研究成果が、筑波大学と理化学研究所のチームから発表されました。

人工冬眠の技術は、医療現場において重症患者を搬送する際に、全身の代謝を下げて酸素やエネルギー需要を低下させ、治療までに臓器や組織が受けるダメージを軽減できる可能性もあると期待されています。

人類の壮大な夢である、銀河系外への遥かな旅。

光速度に近づく宇宙船開発など輸送技術の革新ももちろん必要ですが、驚異の越冬戦略である冬眠技術をヒトが手にできる時代が来たら、大規模な地球型惑星への移住も現実となるかもしれません。

参考文献

  • 体内時計と睡眠の仕組み 武田工業薬品株式会社
  • 生体の科学 69(2): 138-141, 2018
  • 宇宙環境における睡眠問題の解決  生体の科学 69(2): 168-174, 2018
  • 睡眠導入剤がヒトの脳循環動態に及ぼす影響  宇宙航空環境医学 Vol. 55, No. 1-4, 2018
  • 宇宙環境における睡眠研究の現状  宇宙航空環境医学 Vol. 54, No. 4, 2017
  • Newton 別冊  睡眠の教科書  ニュートンムック
  • 宇宙医学入門  マキノ出版
  • 「眠気」の正体が見えてきた!~1万匹のマウスと向き合い、睡眠の謎に迫る~ Science Window 科学技術振興協会
  • 眠気のメカニズム――「現代神経科学最大のブラックボックス」の解明と、創薬に挑む Mugendai
  • マウスで「人工冬眠」成功 日本経済新聞ニュース
  • グリーンランドで3カ月の実験へ…… デンマークの2人の宇宙建築家が作る”月の住まい”とは BUSINESS INSIDER
  • 人類の健康  https://iss.jaxa.jp/kiboresults/benefits/pdf/benfit_2nd_01.pdf