第46回日本臨床薬理学会にて宇宙での症例検討を企画

こんにちは、Space Medical Accelerator (SMA) 代表、脳外科医の後藤です。

2025年12月5-6日にステーションコンファレンス東京にて行われた第46回日本臨床薬理学会学術総会で、シンポジウム 「宇宙での臨床薬理学:無重力環境における薬物治療の新たな挑戦」が開催されました。

学会2日目の午後に行われた本セッションでは、聖マリアンナ医科大学薬理学の木田圭亮先生が座長を務められ、救急医である堀野雅祥先生から宇宙医学の総論、さらに基調講演として順天堂大学保健医療学部診療放射線学科にて薬剤への宇宙放射線影響を研究されている初田真知子先生、元JAXAフライトサージャンで東京慈恵医科大学宇宙航空医学の松本暁子先生がお話されました。

本セッション開催の趣旨は、以下の通りです。

<セッション趣旨 >
①人類の宇宙進出が進む中、長期の宇宙滞在における健康維持には地上と異なる多くの医療課題の解決が求められる
②とくに「臨床薬理学」の視点からは、微小重力・宇宙放射線・閉鎖空間といった環境ストレスが薬物動態・薬力学に与える影響を再評価する必要がある
③本セッションでは宇宙での実例を踏まえて症例検討を行い、宇宙で限られた医薬品の種類・数をいかに有効活用するかなど多くの未解決課題を明らかにする

さらにSMAから、臨床医として代表の後藤と理事の石橋が「宇宙での尿路感染症」をテーマにした症例検討を企画しました。

当日は会場内で立ち見が続出するほど多くの方に聴講を頂き、「この場面では、宇宙ではどの薬剤を選択すべきか?」など、参加者にスマートフォンからリアルタイムで治療方針の決定に参加して頂きました。

臨床薬剤師の方々をはじめ宇宙での薬理学への関心が高い学会で、とても多くの方にお集まりいただいたので、症例検討での様子を共有したいと思います。

1.宇宙で尿路感染症が発生したケース

今回のテーマは、「近い将来に民間人が宇宙ステーションに滞在する際、尿路感染症が発症した」というケースを想定しました。
39℃近い発熱とCVA(Costovertebral Angle:肋骨脊柱角=背中で腎臓のほぼ真上にある部分)を叩いた際の痛みを訴え、膀胱炎よりも重症である腎盂腎炎を否定できない状況になっているという想定です。

使用できる薬剤の選択肢は、現在の国際宇宙ステーションに搭載されている抗生剤に準拠しました。

通常このようなケースでは、地上であれば多くの医師が点滴での抗生剤投与を検討すると思われます。その主な理由は脱水の補正も一緒に行えること、さらに抗生剤の血中濃度を安定してかつ急速に高めることができるからです。

しかしここは宇宙、「微小重力では血管の確保も、重力なしでの液体薬剤の投与も困難」という壁が立ちはだかります。
地上と同様に点滴での抗生剤治療を安易に選択することは難しく、内服薬での対応となるか?という判断が迫られるところです。

ここで進行の石橋から会場のオーディエンスの方々に、以上の2つの問いについて各自のスマートフォンから選択肢を選んで頂きました
結果のグラフはここでは見せられないのですが、抗生剤選択に関しておおむね2:1の割合で点滴:経口投与に意見が分かれたという印象です。

2.宇宙での生理学的変化と先行研究について

その後、これまで宇宙での実例や研究を踏まえた解説ということで、宇宙での生体と薬物動態変化について概要を後藤から説明させて頂きました。
今回の症例検討における宇宙での生体変化についてのポイントは上図の通りですが、整理すると下のようになります。

<宇宙での生体と薬物動態の変化 >
1.体液シフト:血流が上半身にシフトするため、腹部の臓器である肝臓では血流 (肝血流と門脈血流) が低下する可能性がある
2.胃腸運動の低下:重力がなくなり消化物はぜん動運動のみで胃から小腸に送られるため、内服薬の吸収は低下することも考えられる
3.肝血流の低下:体液シフトによる肝血流低下の結果として、肝臓の役割である薬を代謝する効果が下がり血中濃度が過度に上昇する
4.腎血流の変化:同じく腹部の臓器で尿をつくる腎臓の血流が地上と変化し、腎臓からの薬の排泄率が変動する
5.免疫低下:宇宙では微小重力や放射線影響などで飛行士の免疫力が下がり、尿路感染症などが重症化する可能性
6.脱水傾向:身体の水分量が地上よりも減少し、また水分摂取量も減ることで尿量が低下して尿路感染を起こしやすくなる

Shireen Aziz, et al.  Innov pharma, 2022

要するに「微小重力の影響による体液シフトや胃腸運動の低下、薬物を代謝する肝臓や腎臓の血流変化に加え、宇宙特有の環境ストレスによる免疫力低下や脱水などといった変化が人体に生じ、それらは地上と異なる薬物動態に繋がる可能性がある」というのがこれまでの研究による見解と言えると思います。

さらに先行研究として、上図の通り代表的な論文からいくつかの事例を提示しました。

まず、宇宙における感染症がこれまでどの程度発生したのかについて、STA1~108までのスペースシャトルミッションで延べ742名の飛行士に29件の感染症が報告されています。 内訳は発熱やインフルエンザ様症状、ウイルス性胃腸炎など半数以上はウイルス感染によると考えられ、29名のうち尿路感染は4名(13.79%)と比較的高いといった結果です。

また、微小重力に入ると、血液など約2Lの水分が頭部方向へ移動する「体液シフト」が起こり、1-2日で血漿・間質・細胞外から細胞内へ移行するとされています。しかし、 これによる薬物分布に関する詳細は未解明であり今後の研究が俟たれるところです。

さらに、実際に宇宙で薬物を経口摂取した結果の血中濃度を調べた研究がわずかながら存在します。
抗生剤ではなく、消炎鎮痛剤のアセトアミノフェンですが、これを経口投与した飛行士5名の唾液サンプルにおいて「Cmax(最高血中濃度)低値」「Tmax(最高濃度到達時間)延長」を認め、宇宙環境での薬剤の吸収低下が示唆されたと報告されています。

また、経口投与における生体利用率 (投与された薬物や栄養素などが、未変化体のまま全身の血液循環:体循環に到達する割合と速度)に影響し得る因子として、胃での薬物溶解速度や胃の内容排出、腸内細菌叢・肝血流速度・初回肝代謝などが指摘されています。

しかし、実際にこれら宇宙滞在中の体内での薬物動態を確認する事は難しく、今後の研究課題として残されています。

3.宇宙での経口投与と点滴について

最後に、宇宙での薬剤投与において経口と点滴 (静脈注射:静注)の簡単な比較を提示しました。

上の図は、この症例検討のテーマである薬剤の「経口」「点滴」投与についてそれぞれの項目で比較を行ったものです。
まとめると、宇宙での抗生剤使用は「経口投与は容易だが効果は不安定で軽症に適応」「点滴(静脈注射)はさまざまな困難を伴うが、効果は高く重症例に適応」と大まかに言えるのではないかと思われます。

また、今回は議論する時間がありませんでしたが、長期宇宙滞在となると宇宙放射線による薬剤有効成分の分解、劣化といった点も考えなくてはいけません。
地上から持っていける薬剤リソースも限りがあるため、3Dプリンタなどを利用した現地での医薬品の産生という方法も検討されていくでしょう。

以上が本セッションのまとめです。

今後、長期有人宇宙飛行や一般の方が宇宙に滞在する時代に、脳卒中や心筋梗塞、感染症などの救急疾患を発症するリスクは十分想定されますが、医療資源が十分になく、薬物動態も地上と異なる宇宙で薬剤をどのように使用するのか?の議論はまだ十分に行われていません。

近年、宇宙医学を専門とする学会以外にも、臨床系の医学や薬理学などの学会にて続々と宇宙セッションが始まっています。それだけ多くの医療者の間で「宇宙での健康管理」に関心が高まっている結果だと思います。

当社では、宇宙産業の発展をめざす立場からアカデミアと産業界の橋渡しとなる事を目指し、このような学会での発信にも力を入れています。
また学会やイベントで企画やお話をさせて頂いた際には、このように簡単なまとめを発信していきたいと思います。

引き続き、Space Medical Acceleratorの活動に注目ください!

宇宙セッションに登壇した先生方 左から1・2人目が石橋と後藤

参考資料

・Crucian B, et al. Evidence Report: Risk of Crew Adverse Health Event Due to Altered Immune Respponse. 2015
・Shireen Aziz, et al.  Innov pharma, 2022Assoc, 2017. doi: 10.1161/JAHA.117.005564
・Cintron, N., et al. Results of the life sciences DSOs conducted aboard the space shuttle, 1981
・Boschert AL, et al.  Life, 2025
・Shireen Aziz, et al.  Innov pharma, 2022